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フィリペディア

プロフィール

初めまして。ユーリ(@firipedia18)と申します。当サイトの運営者です。

当サイトにご訪問いただきありがとうございます!

このページでは「どんな人が運営しているの?」と気になっていただいた方へ向けてプロフィールを書きました。

生い立ち

1980年代、関東地方の群馬県で生まれました。

学校は小・中・高と県内の公立学校へ通っていましたし、ごく普通の家庭で育ちました。とはいえ、一家に祖父母から両親の兄弟、両親、兄弟までの三世代が一つ屋根の下で暮らしていたので、今の核家族の流れからすると大家族だったなーというのが今の「普通」とは異なる印象です。昔の日本は今よりも平均世帯人数が多かったように、フィリピンではいまも”大家族”というものが当たり前ですので、こういうところに昔の日本とでもいうのでしょうか、どこか懐かしさのようなものを感じていたりします。

また、小学生時代にフィリピン人との交流があったことも今となっては縁を感じる経験です。というのも、叔父がフィリピンパブを経営していて、まれにお店の子が実家に来ていたんですね。

小学生時代になぜか英語に興味があり、セサミストリートをよく見ていました。そのおかげもあってか海外に行ったことは無いものの、中学から高校にかけて英語の成績はよかったです(笑)

そして高校時代に父親が病気で亡くなりました。父親は個人事業主で働きものだったうえに普段から交友関係が広かったので、社会人となった今になってやっと父親の偉大さがわかってきたというのが正直なところです。

初めての就職先がフィリピンパブ

19歳の冬に地元のフィリピンパブを経営している会社に入社します。とはいえ、面接を受けるまではフィリピンパブとは知りませんでした。

キッチン調理が担当だったものの、もちろんお店で働いているタレント(女性キャストのことをこのように呼びます)との交流はあります。フィリピンはタガログ語と英語が公用語であるということを知ったのはこの時がはじめてで、これは言語を覚えるのに良い機会だと思いました。日本語が通じないときは知っている英語を使って英語の練習をし、普段彼女らが話しているのはどんなことだろう?と理解するためにタガログ語の勉強も始めました。環境がフィリピンプチ留学しているようなもんでしたから、何かその環境を自分の糧にしたいという思いがとても強かったです。

また、女性がお酒をつくってくれるような飲み屋には行ったことことがなく、先輩が別のフィリピンパブに連れて行ってくれたのがきっかけで、はじめてのフィリピンパブ(Pパブともいいますね)デビューも果たしました。初めての指名もフィリピン人、初めての外国人の彼女もフィリピン人です。

この部分だけでも一部の方にウケるであろう記事ができますので、そこはおいおい書いていきたいと思います(笑)

初めての海外旅行がフィリピンのセブ島

はじめて海外旅行にいったのはフィリピンのセブ島でした。フィリピンパブの会社の旅行として行きました。そしてこの時に、仕事をしながらも勉強した英語とタガログ語が現地でも通用する、と実感したのを覚えています。

そして初フィリピンの印象ですが、正直言って何十年も前にタイムスリップしたような街並み、お世辞にもきれいにするという感覚はなさそうな施設設備が普通、というものでした。今から10数年前とは言え、すでに世界の観光地として成り立っていましたから、日本とのギャップに衝撃です。道ではクラクションやたら鳴らしてますし。日本の中でフィリピンを体験するのと現地でフィリピンを体験するのとの違いがそこにはありました。

パソコン購入でインターネットに魅せられる

フィリピンパブを退職してから一年後ぐらいの22歳ごろ、はじめて自分のパソコンを購入しました。もともと家にもパソコンはなく、インターネットにつながる環境は携帯電話のみ。どっちかというとパソコンデビューは遅かったほうではと思っています。

きっかけは当時やっていたSNSのミクシィでフィリピンつながりの友人ができたこと。リアルに飲みにも行ったその方がパソコンに強くて、パソコンが欲しいという話をしたところFUJITSUの中古パソコンをたしか5,000円ぐらいで見つけてきてくれたのです。性能は最低限でしたが、パソコンで世界中につながれるインターネットの可能性そのものがとても魅力的で、一気にネットの世界にはまりました。

スペイン人の彼女

出会いはインターネットです。スペインに行きました。

その後子供ができました。日本で一緒に住むことにもなったのですが、すれ違いや価値観の違いから別れ、今に至ります。

投資、資産運用

20代半ば、当時どこからか知ったロバート・キヨサキの『金持ち父さん貧乏父さん』。この頃から投資や資産運用という考え方について興味を持つようになりました。

最初に手を付けたのは投資信託でした。運用資産がそもそも少なく、手数料や信託手数料を考えたときにうまみがなく、すぐに辞めました。

その次に株式投資。よくわからない企業の株を買っては短期で売買するというスタンスで、仕事に身が入らないだけでなく、株価変動の含み損や売買の手数料も稼げないという悪循環に陥り1年たたずに退場しました。

さらにFXに手を出します。これはもはや投資ではなくギャンブルですね。レバレッジをかけた取引をやっていて、数時間で数万円などと喜んでいたのもつかの間、ある深夜に突然ポジションを持っていた通貨が急降下。レバレッジをかけていたのが災いしマイナス数十万円という結末が一瞬にして訪れました。これを機にFX怖い!辞めよう!となりました。

ここまで書くと完全に負け組です。しかし経験は残るものです。今の会社に入ってから軍資金を貯め、日本株、外国株、ソーシャルレンディングと色々やっていますが、今はきちんと運用できています。

千葉、そして東京へ

群馬も好きでしたが、もともと海外や地元以外の土地に興味があったぼくは群馬を出ることになります。きっかけは千葉に仕事ができたことです。

趣味ではまっていたパソコンがそのまま仕事になったのです。ネットショップを作るというような講師の仕事です。

その後、今の職場である東京の不動産仲介屋に入社します。ここでの仕事も自社サイトの運営というインターネットに関連した仕事ができています。

不動産屋に入ったのは前述した投資・資産運用といえばまさにロバート・キヨサキの本にも書かれている「不動産投資」について、勉強ができると思ったからです。ポイントは仲介であることです。

仲介業はオーナーさんとお部屋を探している方の間に立って、両者の契約を成立させることが主な仕事です。ここに、どのような物件であればお客様から求められて、どのような物件が賃料に影響があるのか、といった感覚が蓄積されていきます。

不動産仲介のイメージはまだ世間一般からするとビジネスマナーがなっていなかったり、古臭い慣習が残っていたり、平気でお客様をだまそうとする業者が残っていたりする業界ではあります。今の会社はむしろその逆で、それらをすべて変えようとしている会社であることは、今の自分にプラスにしかなっていません。

そしてフィリピンと日本の架け橋へ

ここ2年でまたフィリピンに関わることが増えてきました。それと同時にまだまだ日本にいながらフィリピンの実情を知るには情報が足りないと感じました。

これだけ普及したインターネットを以ってしても、知りたい情報にたどり着けない、たどり着けたとしてもその情報の良い面だけが見えて悪い面が見えない、ということを多く経験しました。

また、フィリピン人に騙されたという方もいれば、悲しいことに日本人が日本人を食い物にする、という被害もまだ散見されます。

実際のところ、事前にネットで情報収集をしても実際に行動して見て体験したものしかわからないこともあるでしょう。

そんな中、不動産の”仲介業”という仕事を通して、多くの不動産オーナー様とお客様を引き合わせるきっかけをインターネットを通してつくりだせたことはぼくのひとつの経験でした。つぎはこの経験をそのままフィリピンと日本という市場にもって来れたらどれだけの価値があるだろうか、と思ったのがこのサイト誕生の理由です。

フィリピンでビジネスをされている方、日本に住んでいるけどこれからフィリピンに旅行してみたい、さらには移住しようと思われている方、フィリピン人の彼女が欲しい方!

読者の方の価値観は様々あると思っています。あなたが気になった、知りたいと思っていたことがこのサイトを通して見つかった、と思っていただけるようなサイトを目指していきます。また、リアルでのアテンドも大歓迎です。私でできる範囲でお力添えさせていただきます。

最後になりますが、ぼくは何だかんだフィリピンが好きです。今後とも温かい目で見守って頂き、ご指導・ご鞭撻、ご支援頂けたら嬉しいです。

よろしくお願いいたします。

更新日:

執筆者:ユーリ

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